父の死 2
父は病院から典礼会館へと運ばれ、布団に寝かされました。

父の顔を見ると、まるで寝ているかのようにとても穏やかな顔を

していました。いつものいびきが聞こえてきそうなそんな感じでした。

父は生前、家族葬で身内だけで見送って欲しいと強く望んでいたので、

父の望み通りに家族葬にしました。

15日にお通夜、16日に葬儀になりました。

お通夜の前に主人が子供たちを連れてきました。

棺に入った父を次男が見て「じいちゃん、寝てるの?起こしたらダメなん?」と

言いました。次男に「じいちゃんは今から天国に行くんだよ」と説明しました。

次男が「じゃあ、リッキーに会えるね。リッキーが天国で待ってるからね」と言いました。

リッキーは2年前にガンでなくなった実家の愛犬です。

「そうだね。またリッキーと散歩できるね」と次男に言いました。

遺影の写真は父の優しい笑顔の写真にしました。

兄も、「うん、この写真が一番親父って感じでいい写真だ」と言いました。

いつも自分のことより、人のことばかり心配していた父。
とても優しく、頼りがいのある父。
器用でなんでもこなしてしまう父。
母より料理上手で裁縫もできる父。

典礼会館の担当の方に「お父様はどんな方でしたか?」と聞かれ、

兄妹4人から出た言葉は父のそんないい所ばかり。

悪いところなんてなかったとても優しい自慢の父です。

私達のことをいつも気にかけてくれ、孫たちにもとても優しく接して

くれました。

もっと、もっと親孝行してあげたかった・・・。

そんな後悔ばかり。。。

担当の方と打ち合わせをしたりバタバタしましたが、

お通夜と葬儀が無事に終わり、火葬場に移動しました。

お骨を拾い、兄の子供たちはショックで泣いていました。

お寺さんで初七日の法要を済ませてもらい、典礼会館の方に実家に祭壇を

組み立ててもらいました。

急なことで、バタバタしましたが祭壇の父の写真を見ると涙があふれて

きました。父の死を受け入れるのにまだ時間がかかりそうですが、

泣いてばかりでは父も心配してしまうので前を向いて行こうと思います。

母は、精神的ショックが大きくご飯も喉に通らないようでした。

母を実家の兄と妹に頼み、1時間半かけて家に戻りました。

子供たちは体調を崩し、水曜日に長女が熱を出し、昨日次男と三男が

発熱し、病院に連れて行くと二人とも気管支炎と言われました。

今朝は次男は熱は下がりましたが、咳がひどいので念のためお休み

させました。長女は昨日から学校へ行きました。

早く子供たちが元気になって欲しいです。

父さん、みんなを見守っていてね・・・。


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[2017/04/21 10:26 ] | 未分類 | コメント(6) | トラックバック(0)
父の死 1
4/15、私の父が息を引き取りました。70歳でした。

父は5年前から肺気腫を患い薬を飲んでいました。

去年の夏まではゲートボールをしたり元気に過ごしていたのですが、

急に容体が悪化・・・。息苦しくなって動けない状態になり入院しました。

丁度、9月の田んぼの稲刈りの季節で父は息苦しさを我慢しながら

無理をしていたみたいです。母が入院するように言ってもまだ大丈夫と言い、

きっと限界まで我慢していたのではないかと思います。

9月末に入院し、闘病生活を送っていました。

肺気腫の他に、免疫異常を起こし自分の肺が攻撃されどんどん悪くなって

いきました。

転院もしましたが、転院した病院でもこれ以上の治療はできないと言われ、

家族が毎日会いに来れる実家から近い病院にまた戻りました。

それが1月の中旬でした。3月末の子供たちが春休みに入った時に

子供たちを連れ、お見舞いに行きました。

まだ、その時は酸素のチューブを付けていましたが、呼吸も落ち着いていて、

普通に喋れていました。

私達がお見舞いに行って帰った数日後にまた容体が悪化。

呼吸がとても苦しくなり、喋るのも辛い状態になりました。

4/13に、兄から父の肺に穴が開いたと連絡がありました。

免疫異常を起こしていて、ステロイドを投与されていたので、その

副作用で気胸になってしまったようです。

すぐにどうこうなることはなさそうだけど、余命は近付いていると

兄から言われました。嫌な予感がして、次の日に子供たちを学校へ

送り出し、三男を連れてすぐに1時間半かけて父の病院へ急ぎました。

病室に入ると、苦しそうに呼吸する父。なんとか喋れるけれど、うまく口が

動かずよく聞き取れない状態でした。まだ意識はあり、呼吸が苦しいながらも

次男の入学式の写真を見せると嬉しそうに笑顔を見せてくれました。

数日間、食事もとることができず、睡眠もとれていないようでした。

心配で父から離れたくありませんでしたが、小学校から子供たちが帰る時間まで

には、家に戻らなければならなかったので、母と妹に父をお願いし、

「食べれるものはちゃんと食べてね!!また来るからね!!」と父に言うと、

「あぁ」と返事してくれました。

それが最期の会話になるなんて・・・。

その日の夜、妹から父が意識不明になったと連絡があり、実家の家族が

交代で24時間病室で見守り体制に入ることになりました。

兄が病院に泊まり込みになりましたが、夜中の12時過ぎに兄から、

「血圧が下がって危ない状態だ」と言われました。

丁度、主人が夜8時頃に広島から戻って来ていたので、子供たちをお願いして

私だけ先に病院へ向かいました。

病院に着いたのが夜中の2時。父は呼びかけても意識はなく、呼吸を

しているだけでした。意識がないからか、苦しそうにはしていませんでした。

呼吸の感覚が少しずつ長くなり、呼吸が途切れ途切れになったところで先生を

呼び、先に看護師さんが来て「延命処置はしないということなので、このまま

見守りになります」と言われ、私達家族は落胆しました。

父の手をしっかりと握り、呼びかけて呼吸が続くことを祈りました。

最後の呼吸ののち、父は動かなくなりました。私が病院に着いて30分後に

静か息を引き取りました。もしもの時は、実家から遠い私は間に合わないと

思っていましたが、父は私が来るまで待っていてくれたのだと思います。

最期を家族みんなで看取れてよかったです。

父の手がまだ温かかったので、目の前の状況がまだ信じられず、

ずっと泣きながら父の手を握っていました。











[2017/04/21 09:32 ] | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
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